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離島のソリューションが日本を救う?! 宮古島発Utility3.0を考える(前半)

「地域で分散型エネルギー資源の活用を進める」

これはまさに、言うは易し行うは難し、です。

しかし「エコアイランド宣言」を掲げる沖縄県の宮古島市は、温暖化対策を進めると同時にエネルギー資源の島外依存度を低減することを目的に、分散型エネルギー資源の活用を進めています。宮古島でUtility3.0の世界の創出に取り組む、株式会社ネクステムズ社長の比嘉さんに創業までの経緯や宮古島が取り組む「すまエコプロジェクト」の取り組み、思い描くUtility3.0の姿を伺いました。

<エネルギー事業との出会い>

竹内:これまで何度も宮古島やそれ以外でもお目にかかっていますが、比嘉さんは太陽光やエコキュートの設置工事の細かいところから、その通信制御技術についてまで全てご自身で把握してますよね。こちらからすると、何屋さんかわからないのですが(笑)、エネルギー事業との出会いを教えてください。

比嘉:大学では機械工学を学びました。だから元々は機械屋さんです(笑)。大学卒業後、沖縄電力Gの沖電設計株式会社に入社しました。当時創業から1年も経たない会社で、初めての新入社員の5人のうちの1人でした。

新入社員研修の後、沖縄電力の具志川火力発電所(石炭火力)の現場に逆出向(子会社から親会社への出向)して、この現場で2年程過ごしました。ここでは多くの優秀な人と一緒に仕事をするという幸運に恵まれました。実は、具志川火力発電所は、沖縄電力が単身で作った初めての発電所だったんです。それまでは米軍の関係設備や電源開発株式会社から引き継いだりしたような設備ばかりでした。初めて自社の設備としてゼロから作るということで精鋭が集められていたのだと思います。そこで、電力供給に対する徹底した責任感や、ゼロからモノを作っていくにあたっての柔軟性やスピード感など、あらゆることを教わりました。

沖縄電力から沖電設計に戻ったのち、ISOのコンサルティング業務などを行っていましたが、RPS法制定に向けた議論が活発化するに従い、再生可能エネルギーにチャレンジする機会を頂きました。当初は風力発電が有望視されていたのですが、低周波の問題で地元の反対運動が強くとん挫、RPS法が成立したらどうやって沖縄では再エネ電源を確保するんだ、となったわけです。

そこで火力発電へのバイオマス混焼を考えたのですが、沖縄に林業はないので、他のバイオマス資源をあれこれ探しました。たどり着いたのが廃木材でした。沖縄の住宅は台風に耐えられるよう、鉄筋コンクリート造りが基本です。建設時のコンクリート型枠材がある程度の量コンスタントに廃棄されます。沖縄の社会としてもこの処理に困っていたので、これを活用しようと決めました。バイオマスとして廃木材を活用するには、異物除去など苦労もありましたが、今でも年間2万5千トン規模の廃木材ペレットの生産量を誇る工場をこの時に導入しました。

竹内:なるほど、今は太陽光のイメージが強い比嘉さんも、いろいろチャレンジされその結果として太陽光にたどり着いたわけですね。風力発電にもチャレンジされた経験があるとは知りませんでした。

比嘉:ご存知の通り沖縄は離島が多く、燃料コストが高いので、燃料炊き減らしのために25年くらい前でしょうか、固定式風車やその安定供給のために必要な鉛蓄電池などを7か所に設置したんです。元沖縄県知事で、以前の沖縄電力社長をされていた仲井真さんが、沖縄の再エネ推進の起爆剤でした。今の時代ならまだしも、四半世紀前以上前に、「将来確実に再エネ普及は必要になる」と断言しておられたのはすごいことだと今も思っています。

しかし当時はメンテナンス技術や制御技術も行き届かず、7か所のうち6か所くらいは赤字で、事業としては失敗と言わざるを得ませんでした。唯一与那国島は、風況が抜群に良く、設備稼働率が40%越え(他は20~25%程度)だったんです。

ただ、台風で一度ブレードが折れて、修理した時には2億円くらいかかりました。建て替えるのとほぼ同じです。その後、可倒式風車など新しい技術の導入にもチャレンジしましたが、風力発電事業は非常にハイリスクハイリターンだというのが身に染みたんです。再エネはそもそもイニシャル投資型ですが、風力は一度大きなダメージを受けると赤字が確定してしまいます。プロの事業者が相当卓越した技術を持って面倒をみるというのであればよいと思いますが、そうでないならやるべきではないのではないか、と思いました。「市民風車」という取り組みが増えていますが、経験者としてはちょっと心配しています。

<再生可能エネルギーの導入拡大が目的ではない>

竹内:なるほど、バイオマスも風力も経験したうえで今の太陽光にたどり着いたということがよくわかりました。さらに宮古島をVPP事業先進地としてけん引するようになられたわけですが、需要側機器のコントロールに注目されたきっかけはなんだったんですか?

比嘉:長いこと再生可能エネルギー事業に携わってきて、必要な事は「痛み分け」だなと思ったことです。再生可能エネルギーを増やすことを目的化してしまうと、莫大なコストがかかりますし、安定供給も難しくなります。10年以上前から、離島にどれだけ再エネを導入できるか、というのを何度も何度も計算してきましたし、沖縄県など行政からは「100%を目指す」という話もありました。ですが、別に再生可能エネルギーを増やすことが目的ではありませんので、再生可能エネルギーも抑制すべきところは抑制すべきだし、再生可能エネルギーを活用するために工夫できることがあれば系統運用でも需要側機器の活用でも、それをやればいい訳です。

竹内:そうですね。電力は「同時同量」という非常に特殊な性質を持つ材だったので、その歴史を振り返ると、例えば福沢桃介などは発電所を建てると同時にその生み出す電力を活用した産業を興してきました。需要と供給を一体的に考えるということが、エネルギー事業だということだと思っています。このあたりの、電力産業史は前回登場いただいた西村さんがお詳しいんですよ(笑)。

「2050年のエネルギー産業」の本でも「先祖返りする電力小売り事業」という小タイトルがあるのですが、もう一度改めて、地域のエネルギー需要をマネージしながらその供給を考えていく、地域を丁寧に見るというのが今後のUtilityに必要な事ではないかと思っています。

比嘉:仰る通りですね。宮古島のすまエコプロジェクトにとことん付き合おう、まだビジネスとしては成立しておらず行政の取り組みに留まっていたのを民間事業として仕上げようと思ったのも、その点にあります。宮古島のすまエコプロジェクトは、市役所にも本気の仲間がいましたし、技術・人材共にピースはそろいつつあると感じていました。でも、やはり中核となる人が必要だと思ったんです。地域にとことん向き合い、信用を得て、地域のエネルギーを考えていく顔の見える「面倒見の良いおじさん」になろうと思いました。

(後半に続く)